桐の伝統工芸品

 

琴・琵琶・雅楽面 — 宮廷儀式用の器具

日本人が桐材を用いた歴史は古く、天平の宝物を保存する正倉院の御物のなかには、それを証明するものが数多くあります。その一つが「箜篌(くご)」という中国伝来の楽器。桐の丸太をくり抜いた胴に23本の弦を張ったハープのようなもので、琴の原型といわれています。

 琴は日本にも古くから存在しました。弥生時代の集落・水田跡である登呂遺跡で小琴が発見されているほか、古墳時代の遺跡から発掘された埴輪には弾琴像がみられます。また、『古事記』にも「こと」を弾く場面が記されているように、この時代、琴は神聖な楽器として扱われていたようです。
 日本においても、琴の材には桐が選ばれました。琴は日本固有の和琴と大陸から渡った琴が融合し、用途に応じて多様化しながら今日に至りますが、音を響かせる胴の部分に、しばしば桐が用いられます。これは、桐の材が多孔質で粘着性があり、音をよく響かせる特性を備えているから。この優れた音響性から、桐は琵琶の腹板にも用いられました。

琴や琵琶は、雅楽を奏でる楽器でもあります。雅楽は、日本古来の簡素な舞と大陸から伝わった伎楽や舞楽が融合したもので、奈良時代には宮廷の公式行事で歌舞されていました。律令制のもとでは、演奏と演舞の教習をつかさどる雅楽寮を国家機関として設置。当時、たいへん重要視されていたことがわかります。
 正倉院には数多くの雅楽面が保存されており、そのなかには桐で作られたものが数多くあります。『日本書紀』には、欽明天皇や推古天皇の御代(550~610年)に大陸から伝来し、この頃から日本でも作られるようになった――と記されています。

現在に伝わる雅楽面のなかに、東大寺大仏の開眼会に奉納された伎楽の木彫面がありますが、これらはすべてが桐で作られていました。軽くて、肌ざわりがよく、加工しやすい桐は、顔につけて舞う雅楽の面に適していたということなのでしょう。
  加えて、中国には鳳凰が桐の木だけに棲むという故事があることから、日本でも桐は瑞祥の木として特別な存在でした。さまざまな文化を大陸から輸入していたこの時代、こうした思想を背景に、大切な儀式用の器具に桐が好んで使われたのかもしれません。

 

桐箱・桐箪笥 ― 保存性の高い収納

桐製品として、現在最も馴染みがあるのは、桐箪笥や桐箱といった収納具でしょう。掛け軸や骨董品の保管箱や、茶道具や茶碗などの収納箱、米櫃などの食品保存箱など、桐は収納保存のエキスパートとして、私たちの暮らしを支えています。

世界で唯一、桐を家具用材とするこの日本で、桐が収納に用いられるようになったのは鎌倉時代のこと。作られたのは鎧櫃や刀剣箱で、鉄金具の錆や布類の湿気を防ぐ役割を果たしていました。高級な調度品にも利用されたといいますから、桐製品は身分の高い人々のもので、庶民の生活とは無縁でした。

桐の収納具が庶民の間に広まったのは、江戸時代に桐箪笥が登場してからのことです。箪笥が作られるようになったのは江戸時代のはじめで、それまでは竹製の行李、木製の長持や櫃など、箱状のシンプルな収納具が使われていました。経済が著しく発展し、庶民の暮らしぶりがよくなると、増えた持ち物を効率的にしまうための収納家具が広く求められるようになったのです。場所を取らず、細かく仕分ける引き出しを備えた機能的な箪笥は、時代のニーズに応えた新しい収納家具でした。

箪笥に使われた木材には、杉、楢、欅、檜などがあげられますが、なかでも桐製の箪笥は高級品で、たいへん人気がありました。「桐を知る――桐の文化史」でご紹介したように、桐箪笥流行の裏には江戸で頻発する火事が大きく関わっていましたが、軽くて燃えにくいというほかにも、桐は収納具にふさわしいさまざまな利点を持ち合わせています。まとめてご紹介しましょう。

  • ・軽くて持ち運びしやすく、扱いに便利
  • ・木肌が白くなめらかで、美しい
  • ・調湿作用があって、湿気を寄せ付けない
  • ・燃えにくく、火事に強い
  • ・熱が伝わりにくく、調温作用がある
  • ・水を通しにくい
  • ・やわらかくて加工がしやすい
  • ・材質が均等で狂いが少なく、加工に適している

このように、収納具の材に適した特性を数多く備えていたことに加え、木材流通の基盤整備や木工技術の進歩によって、桐箪笥は江戸期の日本に広く普及し、各地に桐箪笥の産地が生まれました。新潟の加茂桐箪笥や、埼玉の春日部箪笥、静岡の藤枝桐箪笥、大阪の泉州桐箪笥などが、よく知られています。そのうち、春日部は大消費都市であった江戸に近いという地の利を得て、江戸末期には大きく発展し、明治の終わりには日本最大の産地となりました。

 

桐下駄 ― 軽くて丈夫な履物

現存する日本最古の下駄は弥生時代の田下駄で、静岡県の登呂遺跡から発見されました。
 水田用の農具であった下駄は、雨の日や水仕事など、足元がぬかるんでいるときの履物へと変化していきます。古墳時代の埋葬品のなかに石下駄が、奈良平城京跡から連歯下駄が出土。平安時代には『枕草子』や『宇津保物語』に「くれのあしだ(「くれ」は木、「あしだ」は足駄)」の語がみえることから、身分の高い人々の間で広がっていったようです。

下駄が一般に普及するのは江戸時代で、町民文化の成熟と共に、バリエーションも増え、デザインも多彩になっていきました。それまで湿地用・雨天用としてのみ用いられてきた下駄も、「日和下駄」といって天気のよい日もカラコロと音を鳴らして履く歯の低いものが考案され、普段使いが定着。男女共に好んで用いたといいます。
 また、下駄の材はそれまで檜や杉が主流でしたが、しだいに軽くて履き心地のよい桐が好まれるようになりました。江戸の町や京都・大阪には下駄屋街ができ、庶民向けに桐下駄を売る店が軒を連ねたそうです。

桐が高級な下駄材として好まれたのは、軽くて足が疲れないからだけではありません。桐の木肌はやわらかいので裸足で履いても気持ちよく、足にしっくりと馴染みます。水に強いので、雨にあたっても傷みません。軽軟な材なので、すぐに歯が減ってしまいそうな気もしますが、実際は砂粒や小石が歯に食い込んで摩耗を防ぎ、逆に長持ちするのだといわれています。足を載せる台には桐、歯には堅い材の樫・欅・朴などが用いられることもあります。
 下駄用の桐材は、暖地より寒冷な地方で採れたもののほうが木目が密で、高級品とされています。福島の会津桐や岩手の南部桐は、昔から桐の名産地として名高いところ。現在では秋田や新潟の桐も最上級品として評価されています。

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